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心理・教育×映像・音響


第8回目は、「映像・音響コース」。
西貝雅人先生と対談しました。

西貝先生の経歴

小早川:おお、研究室にも写真が飾ってありますね。西貝先生はプロのカメラマンでもありますから、やはり先生が撮影したのですか?

西貝:そうです。2枚とも撮ったあとに特別な加工をしました。いやー、大変でしたよ(笑)
これは現実と虚構のギリギリの境界を目指して創った作品です。どこまで作り替えたら自分が考える嘘の世界になるのか、裏を返せば本当っぽさのギリギリのラインはどこだろうという疑問から出発してたどり着いた結論がこれです。

小早川:写真の青さがとても幻想的で、不思議な感じですね。「写真」ですから現実を写しとったことはわかっているのに、非現実的な表現ができるなんてすごいですね。さて、西貝先生はどのようなご経歴で今に至るのですか?

西貝:日芸出身の写真専攻で、大学院の修士課程まで在籍していました。その後アシスタントを経て社会人経験をし、フリーも経験。2010年に東京情報大学の非常勤講師から現在の助教に至ります。
実は、今も僕学生なんです(笑)現在青山学院の大学院に通っており、教える立場と教わる立場を現在進行形で生きています!こうみえて4人家族で、子供2人はまだ2歳と0歳。毎日生きるのに必死ですよ。笑

小早川:家庭も仕事も、院生生活もこなしているとは、一日って何時間あったんでしたっけ(笑)?

芸術の道へ

小早川:芸術の道を選んだのは、どんなきっかけがあったのですか?子供の頃から英才教育を受けられていたとかですか?

西貝:元々西洋絵画が好きで、小学生の頃はよく図書館に通って西洋美術全集をみていました。周りも叔母がピアノの先生で、両親が書道の先生ということもあってか、芸術は身近に慣れ親しんでいました。僕が小学校のときに母が美術館の本をくれたのですが、そこに写っていたフェルメールの「青いターバンの少女」を見たとき、「美しいな」と単純に感じました。幼い頃から感受性は豊かだったのかもしれません。

小早川:小学生のときにフェルメールをみて「美しい」と思うのは、素晴らしい感覚と感性ですね。僕は父親が絵を描きますが、自分には全く絵心は無いと思います(笑)。

西貝:そこから高校3年あたりから報道写真に興味を持ち始め、本格的なカメラを持って新宿の街で「悲しみ」をテーマに写真を撮ったりしはじめました。
人間のhappyをそのままhappyと表現する方法もあると思いますが、人の悲しみから喜びに目を振り向けるという方法やロジックのほうが、より深読みできる作品が生まれると僕は思うんです。だって、悲しいから喜びがわかるでしょ?

小早川:なるほど。ずっと幸せだけでいるよりも、悲しみの後の喜びの方が大きいでしょうね。

西貝先生の研究分野

小早川:西貝先生の研究分野を教えてください。

西貝:基本的な軸足は写真作品の制作活動におくアート系領域です。一方で制作活動に学習やコミュニケーションという観点を取り入れて、アート系領域の拡大も目論んでいます。

小早川:制作活動に学習やコミュニケーションを取り入れるんですか?

西貝:例えば今までのアート系の学問領域は作品制作が主な目的であって、制作のプロセスで人間がどんな事をしているのかという問題にはあまり関心がよせられてきませんでした。

西貝:しかし例えば「描写したい対象を見つける」みたいな小さくても作品制作上の重要な行為があって、その行為のメカニズムは実はこういうコミュニケーションや学習によって成立しているんだという仕組みを明らかにすることができれば、その仕組みを他の分野に応用させることも出来る。つまりそれはアートの効力拡大だとおもいます。
そんなこんなをきちんと学問的裏付けをもって言えるようにしたいと思い、大学院で現在勉強中です。

小早川:コミュニケーションの真髄にかかわるお話だと思います。日常会話でも芸術表現でも、つきつめると「自分はこうです」ということを伝えたり、「相手はこうだな」と感じられることが目的です。それは普通は学校で教わるとか、方程式があるようなものではないですが、少しでも身につけられる「やり方」があれば良いですよね。コミュニケーションに苦手意識がある人は多いように思いますからね。

映像・音響コースについて

小早川:映像と音響と、似ているようで違う気もする2つの内容が名前に入っていますが、コースはどんなコースだと思いますか?

西貝:僕自身はまず「表現することを基礎からやっていくこと」に重点を置いています。映像・音響の分野は、やろうと思えばいくらでも高い機材が必要で、美術系の大学だととんでもない金額の機材を持っているところもあります。でも情報大は、美大でもなければ芸大でもない。情報大は、パソコンという新しい時代の道具とその周辺機器を網羅的に使いこなす学習が出来る、たとえば<プログラミング>+<映像>のような情報大の強みを活かした表現の学習について、いかに環境やカリキュラムをデザインするかを考える可能性を秘めています。

西貝:目指す目標に対しては課題が多いですが、情報大の良いところは「便利すぎない」ところです。これは僕の教育モットーでもあるのですが、制作系の勉強を始める時は、環境や道具は便利すぎないほうがいいとおもっています。なぜかというと、自分が表現したいものに近づくためにはどうしたらよいかと試行錯誤したり知恵を使ったりするから、ひらめきが湧いて中身が豊かになる。それに一番の魅力はこの立地です。雄大な自然がある(笑)
 この世界の評価者は自分自身です。本当にそれで満足?正解?と常に自問自答します。自分が表現したいところを追い求めなくなったらそこで終わりです。そこで満足するかしないかが奥深い作品を創れるかそうでないかの差になると思います。

小早川:お話を聞く前は、カメラやオーディオ機器に関するテクニックや技術を学ぶコースだと思っていたのですが、その先の観念や哲学という部分まで踏み込んで考えていくのですね。

西貝先生の考える大学と専門学校の違い

小早川:テクニックだけではなく、その先の哲学的なことまで考える必要があるのはなぜですか?

西貝:なぜならそれは「大学」だからです。技術を学ぶだけなら専門学校で十分です。特にカメラを使って写真をとるなら、個別のhow toを学ぶこと「だけ」を考えると2年制の専門学校のほうがよいです。ではなぜ4年間かけて大学で勉強するかというと①How toの範疇から外れたときにどうするか ②目の前の世界をどう捉えるのか という壁にぶつかったときに、基礎に立ち返ることができる「自分なりの世界観」をプラスアルファの2年で学べるからです。
 専門学校では「技術」を学ぶことはできますが、実践の哲学(自分は写真を使ってどのように世界を見るかということ)までは時間がかけられません。その点、大学は1.2年間イヤというほど基礎を学び、3.4年で世界をどう見るかという実践の哲学を学ぶことができます。そして創意工夫をする学びの中で基礎と実践の哲学を鍛えたことの成果が、卒業して10年後にでます。僕は10年後にやっと基礎と実践の哲学の重要さの意味がわかりましたが…笑

小早川:哲学というブレない軸を持っていると、長い目で見て良い創作活動ができるんですね。僕も自分の研究や、心理・教育コースに「哲学」があるか、考えなおしてみます。

西貝先生の趣味と好きな言葉

★趣味
学生時代から続けている「剣道」と10年前からはじめた「登山」です。
先日こどもと、僕の生まれ育った所沢の「トトロの森」探索に登山訓練(?)もかねて行きました。
子供との時間はとても面白いですね。

★好きな言葉
「悲劇」
この言葉をきくと、なんてやつだー!?と思うかもしれませんが「作品として何かを表現するってなんだろう」と考えたとき、僕は人の悲しみと向きあうほうが発展性があると思っています。
だって、悲しいから喜びがわかるでしょ?
その喜びを表現する事も悲しみを表現する事も“アート”ってなんだろうと考えるときには大切な事だから。

こんな人が向いている・きてほしい!

・アナログなひと(パソコンは好きではないという人)
・現実世界の悲喜こもごもに興味がある人
・妄想するのがすきなひと
・表現力を磨きたい人


ただ単にヴィジュアル・オーディオのテクニックを学ぶだけでなく、社会問題や芸術論、心理学なども駆使して「自分」の幅を広げていくのが「映像・音響コース」です。

カメラのファインダーごしに見えるかもしれない「自分だけの表現」を映像・音響コースで探してみませんか?

【番外編コラム】心理学 小早川先生×心理学大学院生 西貝先生

デザイン系志望の学生必読!?心理学とデザインの関係

小早川:西貝先生は知覚心理学(視覚)という講義も持たれていますよね。視覚芸術の専門家である先生が、どんな心理学的な話題を授業で扱うんですか?

西貝:「アフォーダンス」という概念があって、そのアフォーダンスが美術やデザインととても深く関係しています。特にデザイン系の本ではアフォーダンスの概念がしばしば用いられています。なぜかというと、アフォーダンスの考え方では、人が外界に埋め込まれている情報を取り出す能力があると考えるからです。

小早川:日常的に言えば、形やモノを理解したり認識したりする能力、でしょうか。心理学者のギブソンという人が提唱した、専門的な概念ですね。もう少し具体的に説明していただけますか?

西貝:例えば幼児用のお皿を例に考えてみましょう。うちの娘はいま2歳ですが、食事の時に大人が使うお皿では食べ物を上手くスプーンですくうことができません。この時にお皿の縁が1cmほど高くなっていて、少し内側に反った皿であれば食べ物をスプーンに載せることができます。
 この時、子供がこんなことが出来るのはなぜでしょうと考えます。「ここがこうなってこうなるからこうすると上手くすくえる」と理解したからすくえるのでしょうか。アフォーダンス論的には、皿の縁が少し高く内に反ったデザインが「食べ物をすくった時に縁のところでスプーンに収まる」という情報を娘にアフォード(提供するの意)し、子供はその情報を身体を探索的に使いながら取り出すという「皿と人とのコミュニケーション」がデザインを媒介として成立する。

この関係の成立がご飯が食べられるという結果を生むと考えます。

小早川:私たちがモノを理解するときには色々な段階があって、形から使い方を理解するときにはかなり直感的な感じで行動してますね。ボタンがあれば押してみるし、グリップがあれば握って使いますね。

西貝:つまり人に対して1から10までの作業を、論理的に意味構築して使うように求めるのではなく、プロダクトに使用目的に適うような情報としてのアフォーダンスをデザイン的に埋込んであげて、ユーザーはその情報を感覚的に取り出すだけでよいようにする。それがアフォーダンスを用いたデザインということです。

小早川:扉に「押す」とか「引く」とか書かなくても、取っ手があれば引き戸、平らになっていれば押戸と分かるのも、アフォーダンスの例と言えますね。あれが両方取っ手になってると、押すのか引くのか分からないとき、ありますね。

西貝:実は昔もギブソンの著作を読んだ事があるのですが、難しくて歯が立ちませんでした。しかし大学院でアフォーダンスの講義があり、分かるまで3年かけて講義を聞きました。(笑)

小早川:確かに、アフォーダンスの概念はわかりにくいですし、専門家の中でも様々な捉え方がありますからね。今は身近な例だけ挙げましたが、元々は理論的な話ですね。

西貝:生態学視覚論(ギブソンの著書)でいうと、視覚メディア(写真・映画・絵画)はアフォーダンスの概念が非常に重要なものとなります。ただ表現の問題については難しいよね、とギブソンは言っていますが…苦笑

小早川人がモノを見てどう捉えるか、という概念ですから、視覚芸術には欠かせない理論ということは言えそうですね。「取っ手のないヤカン」をディスプレイするだけでも、見る側の「どうやってお湯を注ぐんだろう」という疑問を直感的に引き出しますよね。そこから「使うってどういうことだろう」というように、発想が広がるかもしれません。

西貝:ああ、それ!!それです。作品をつくるってそういう逆転的な発想からスタートして、さらに磨きをかけてオリジナリティーをだすって作業だとおもいます!!先ほど悲劇が好きといったのは、妄想?の源泉が散らばっているからなんです。熱々のヤカンに取っ手が無かったら悲劇的でしょう(笑)アフォーダンスはこういう妄想をするときによい足場になります。

小早川:知覚心理学(視覚)の講義は他にも視覚芸術と関係ありそうな話題があるので、私も受講したいぐらいですね(笑)。