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設置者と沿革


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「育英黌」の精神
本学は、来るべき未来を見据え、時代の要請する新しい専門的能力と国際感覚、均衡感覚に優れた人材の育成を教育の目的として、1988(昭和63)年4月、千葉市に開学しました。
設置者である学校法人東京農業大学は、本学や2011年に創立120周年を迎えた東京農業大学をはじめ、8つの教育機関をもつ学校法人として現在に至りますが、その始まりは1891(明治24)年、明治の元勲 榎本武揚が創設した「徳川育英会育英黌」にさかのぼります。
総合的な視野から、新しい時代の要請に即した人材の育成を目指した榎本「育英黌」の精神が、時代を超えて東京情報大学にも受け継がれています。

東京情報大学の沿革

1891年(明治24年) 徳川育英会を母体に育英黌農業科設置(東京農業大学の前身)
1925年(大正14年) 財団法人東京農業大学設立
1951年(昭和26年) 財団法人東京農業大学は学校法人東京農業大学となる
1988年(昭和63年) 東京情報大学設立(経営情報学部/経営学科・情報学科)
1992年(平成4年) 東京情報大学大学院(経営情報学研究科経営情報学専攻修士課程) 設立
1996年(平成8年) 東京情報大学経営情報学部 情報文化学科設立
1999年(平成11年) 東京情報大学大学院(経営情報学研究科経営情報学専攻博士前期課程・博士後期課程)設立
2001年(平成13年) 学部名称を総合情報学部に変更。経営情報学科・環境情報学科・情報システム学科を新設
2005年(平成17年) 経営情報学科より情報ビジネス学科へ、大学院経営情報学研究科より総合情報学研究科へ名称変更
2011年(平成23年) 分野・研究室の再編を含めてカリキュラムを抜本的に改正
2013年(平成25年) 東京情報大学 総合情報学部総合情報学科を新設

学校法人東京農業大学「実学主義」

教育理念「実学主義」のもと、自らの感性と体験を通じて「生きる力」を育む

東京農業大学の創設者である榎本武揚は、文部・外務・農商務・逓信大臣を歴任し近代を切り拓いた優れた政治家であるとともに、実用的な応用技術に力を注ぐ「実学」の重要性を唱えた科学者だった。同時に、メキシコ移住や北海道開拓にも関与し、フロンティアスピリッツの重要性あふれた人物であった。
その榎本の招聘で、明治農学の第一人者である横井時敬が評議員として参画。現在の東京農業大学の学風や農大生気質の基礎を築いたのはこの初代学長の横井時敬である。
横井の農学に対する研究教育の姿勢は、徹底した実学主義によるものだった。横井の「稲のことは稲に聞け、農業のことは農民に聞け」「農学栄えて農業亡ぶ」といった言葉は、観念論を排して実際から学ぶ姿勢を重視し、学問のための学問を排した実学主義の表れである。また、横井は「人物を畑に還す」とし、農業後継者・地域社会の担い手の養成をめざした。

現在の東京農業大学は従来の農学に加え、生命科学、環境科学、情報科学などを取り入れ、さらに深く幅広いテーマの教育研究を行っているが、横井時敬のモットーは時代を超えて東京農業大学の根底に息づいている。
現在、学校法人東京農業大学は、東京農業大学(世田谷、厚木、オホーツクキャンパスキャンパス)と、東京農業大学短期大学部、東京情報大学、東京農業大学第一高等学校・同中等部、東京農業大学第二高等学校、東京農業大学第三高等学校・同附属中学校、東京農業大学成人学校の9つの学校を運営している。

榎本武揚プロフィール

榎本 武揚

明治の政治家(1836年~1908年)
海軍副総裁、駐ロシア特命全権公使、逓信大臣、農商務大臣、文部大臣、外務大臣などを歴任。
事業として、北海道開拓事業指導、樺太千島交換条約締結、気象庁設立、東京農学校(現・東京農業大学)創設、メキシコ移民事業、殖産興業、特に化学産業や紡績業、製鉄業への技術的貢献、電信事業の整備などが挙げられる。

歴代学長

代数 氏名 在職期間
初代 林 雄二郎 1988年~1994年(昭和63年~平成6年)
第2代 小田 稔 1994年~2001年(平成6年~平成13年)
第3代 松田 藤四郎 2001年~2007年(平成13年~平成19年)
第4代 新沼 勝利 2007年~2011年(平成19年~平成23年)
第5代 牛久保 明邦 2011年~2015年(平成23年~平成27年)
第6代 鈴木 昌治 2015年~(平成27年~)